美術品鑑定士 久保 泰助 さん
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美術品鑑定士として活躍されています
久保泰助さんは尾鷲市出身。二松学舎大学で文学を専攻し、卒業後は美術の世界へ。銀座画廊「芳山堂」美術品鑑定士として、第一線で活躍されてきました。
その類まれなる鑑識眼で、数々の美術品を鑑定し、また、多くの有名鑑定士を後輩として輩出されました。
現在は、息子である聡一郎さんに代を譲り、画廊「芳山堂」は千代田区平河町に移転。自身は尾鷲に戻り、「芳山堂尾鷲店」として朝日町に居を構え、奥様と二人で暮らしていらっしゃいます。
「芳山堂」の屋号は日本刀研磨師であった父親、久保芳山から引き継がれました。

「美術品の仕事は格闘技、やるかやられるか」
「それぞれがお山の大将、売りと買いは力と力のぶつかり合い。この仕事でてっぺんになった。」
美術品にはそれぞれの人の人生がつまっている、未来もつまっている。努力の末獲得した鑑識眼により本物と偽物を見分け、その価値を鑑定する。美術品鑑定士としての厳しさと実力、その想いを語ってくれました。

「どう生きるか、ではなくどう死ぬか」
「あっという間の人生、死ぬなら尾鷲でと決めていた。
尾鷲は空気も水もおいしい。ウォーキングも都会と違い歩きやすい。」
厳しい美術品鑑定士として活躍をされてきた久保さん。今は尾鷲で奥さまとウォーキングを楽しむなど健康に気を付けながらゆっくりと生活されています。

趣味は野球鑑賞、ゴルフ、今はウォーキング
草野球チームを所有するほどの野球好き。好きな球団はヤクルトスワローズ。
ゴルフも得意で、ゴルフ場がない尾鷲では、ゴルフ練習場で楽しんでおられます。
学生時代は剣道部に在籍し、県大会で優勝するほどの腕前だったそうです。
日課のウォーキングは4~8kmほど歩くとのこと。「どこでも歩いていく」と尾鷲での生活を満喫されています。

皆さまへメッセージ
「尾鷲は捨てたものじゃない。最高の故郷ではないでしょうか。
尾鷲の皆さんは、お年寄りも、元気、そして正直。嘘を付けない。尾鷲の生活はストレスがない。
若い人は、仕事を求め、市外に出ていってもいいが、必ず帰ってきてほしい。
生まれ育った尾鷲を大切にしてほしいです。」

経歴
尾鷲小学校、尾鷲中学校、尾鷲高校で学び、二松学舎大学で文学を専攻。
卒業後は、美術の世界で生きていくことを決め、日本橋で修業し、一度尾鷲に戻るが、その後、東京銀座で「芳山堂」を開業。
東京美術クラブ、大阪美術クラブのクラブ員 元鑑定・査定委員会のメンバー。
現在は息子聡一郎さんに代を譲り「芳山堂」は千代田区平河町に移転。自身は尾鷲で「芳山堂尾鷲店」を営みながら暮らしている。
