大阪大学名誉教授 中尾 敏充 さん
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大阪大学名誉教授 中尾 敏充 (なかお としみつ) さん

大阪大学名誉教授 法のエキスパートとして長年活躍されています
中尾敏充さんは九鬼町出身。1973年に大阪大学経済学部を卒業後、大阪大学などで法学の研究者、教育者としての道を歩み、多くの学生を指導、1995年には大阪大学法学部教授に着任されました。
その後も同大学管理運営に関わり、2008年には、大阪大学大学院法学研究科長・法学部長に任命されました。
2013年に退職、同年、これまでの実績が認められ大阪大学名誉教授の称号が授与されています。

1999年以降は、大阪大学の管理運営に関わり、時間の大半を費やす
「1999年以降は、大阪大学の管理運営に関わり、時間の大半を費やしました。
国立大学が法人化され、各大学の中期目標・中期計画が立てられて、毎年中期計画の達成状況を文部科学省に提出する必要がありました。
大阪大学には当時、42部局があり、42部局から提出された達成状況を点検したうえで、大学全体としての達成状況にまとめて、文部科学省に提出しました。この作業に携わり、大変苦労した思い出があります。この作業は現在も続いています。」

学生時代はテニスに、登山。弟子との思い出
「中学校時代に軟式テニス部に所属したこともあり、趣味といえば、硬式テニスくらいでしょうか。
しかし、腰を痛めてからは、テニスも出来なくなりました。
大学院時代に夏休みを利用して、白馬・槍ヶ岳・奧穂高など3000メートル前後の夏山に友人と登ったことが楽しい記憶としてあります。
私には、5人の大学院生と1人の研究生がいました。修士論文の作成や初論文の公表のために時間を割いて、恥ずかしくない論文に仕上がるよう厳しく指導しました。
これらの院生が修士号を取得して博士後期課程に進学すると、弟子たちが大きく成長して後輩の院生を指導する姿を目の当たりにして、びっくりするとともに、嬉しくなりました。
大学教員冥利に尽きるものです。これらの弟子たちは、現在、大学教授4人と准教授1人に成長し活躍しています。」

「諦めないこと」 諦めず努力すれば達成することができる
「自分への戒めも込めて、「諦めないこと」、「努力すること」という言葉が好きです。
自分で決めた目標も決して諦めずに努力すれば、達成することが出来ると確信するからです。」

尾鷲の思い出はブリ
「九鬼漁業組合のブリ大敷で、3万尾のブリが取れたときの強烈な記憶があります。
海岸に面した道路いっぱいにブリが並べられていました。このときの印象は決して忘れることが出来ません。
好きな食べ物は、ブリ茶漬け、スイカ、ミカンなどです。」

皆さまへメッセージ
「現在、堺に住んでいますが、尾鷲の風景がテレビなどで放映されるとなつかしく感じます。
最近、テレビ番組などで、田舎に引っ越して生活をする老夫婦が話題になっています。テレビ朝日の番組「人生の楽園」もその一つです。
ゆったりとした気分で、日々の暮らしを過ごす姿が取り上げられています。地域住民との交流、昔の仲間との出会いなど、そこには何の打算も感じられません。
現在の日本には、持続可能な社会の実現、自然環境の保全、社会環境や教育環境の整備など様々な課題がありますが、諦めずに、一つ一つ、努力することが必要ではないでしょうか。」

主な経歴など
九鬼小学校、九鬼中学校、伊勢高校を経て、大阪大学経済部卒業、大阪大学大学院法学研究科博士課程単位取得退学(1980)。
近畿大学法学部専任講師(1980)、近畿大学法学部助教授(1986)、大阪大学法学部助教授(1992)、大阪大学法学部教授(1995)、大阪大学大学院法学研究科教授(1999)、大阪大学評議員(1999-2002)、大阪大学評価・広報室員(2004-2008)、大阪大学大学院法学研究科長・法学部長(2008-2012)、大阪大学教育研究評議会評議員(2008-2012)、大阪大学定年退職(2013)、大阪大学名誉教授(2013)、奈良大学教養部教授(2013-2019)