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    「八鬼山荒神堂跡及び茶屋跡」が国指定史跡「熊野参詣道伊勢路」に追加指定される答申が行われました!

    • [公開日:]
    • [更新日:]
    • ID:23476

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    国指定史跡「熊野参詣道伊勢路」への追加指定に向けて・・・

     国の文化審議会は、令和7年12月19日(金)に開催された文化審議会文化財分科会での審議・議決を経て、史跡名勝天然記念物の指定等について、文部科学大臣に答申を行いました。
     三重県関係では、史跡熊野参詣道に3箇所の追加指定の答申が行われ、尾鷲市の「八鬼山荒神堂跡及び茶屋跡」も含まれております。

    追加指定の答申が行われたもの

    ◆熊野参詣道(伊勢路) 3箇所
      石仏庵(いしぶつあん)玉城町
      女鬼峠道(めきとうげみち)多気町
      八鬼山荒神堂跡(やきやまこうじんどうあと)及び茶屋跡(ちゃやあと)尾鷲市

    八鬼山荒神堂跡及び茶屋跡

     八鬼山荒神堂跡及び茶屋跡は、江戸時代に「西国一の難所」などと評された八鬼山道を矢浜側から登った道中に位置し、現在は令和元(2019)年に修繕されたお堂が建っています。嘉永6(1853)年刊行の『西国三十三所名所図会』(以下『名所図会』)に荒神堂が描かれており、現在とほぼ同じ場所に存在したことが窺えます。
     荒神堂は、八鬼山日輪寺とも称されました。大宝2(702)年修験者阿闍梨返昌院仙玉法印(しゅげんじゃあじゃりへんしょういんせんぎょくほういん)の創基と伝えられ、天正年間の初年頃に権大僧都各真法印(ごんのだいそうずかくしんほういん)が中興したと伝えられています。堂内に、『名所図会』でも紹介されている、本尊の石造三宝荒神立像(天正4(1576)年銘)のほか、阿弥陀仏・観世音・薬師如来といった、熊野三山の本地仏が納められており、巡礼者らは荒神堂を西国巡礼の前札所として参拝されたと伝えられています。
     茶屋跡は、荒神堂跡に隣接した空き地に位置しており、現在はわずかに石積の基壇が残されているのみです。『名所図会』に「荒神茶屋」と紹介され、荒神堂を管理した修験者とその家族によって営まれ、彼らの居宅も兼ねていました。ここは、通常休息所として餅や酒、食事などを提供する場所でしたが、稀に行き暮れた旅人が宿泊することもありました。茶屋跡から道を挟んだ南東側に現存する石製の枡ますは『名所図会』にもみられ、ここで山から引いてきた水を溜め、旅人たちの飲料水や修験者一家の生活水に用いたと考えられます。
     以上から、荒神堂跡及び茶屋跡は、伊勢路を歩いた巡礼者などと密接な関わりがあったことから、道と同等の価値を有すると認められました。

        『西国三十三所名所図会』に描かれた荒神堂と茶屋
        (国立公文書館デジタルアーカイブ内の画像を加工)

          現在の荒神堂跡と茶屋跡
           (令和7年5月撮影)

    「熊野参詣道伊勢路」の情報は以下のURLからご確認ください。
     https://www.city.owase.lg.jp/0000012998.html

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    尾鷲市役所教育委員会生涯学習課生涯学習係

    電話: 0597-23-8293 ファックス: 0597-22-0080   三重県尾鷲市中村町10-41

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