医学博士・医師 東 俊宏 さん
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経歴:医学博士・医師として活躍されています
東 俊宏さんは尾鷲市出身。早田小学校、九鬼中学校で学び、伊勢高等学校、岡山大学医学部(1973年卒)を経て、医学博士、医師としてご活躍されています。
岡山大学第一内科入局、MemorialSloan-Kettering Cancer Institute留学(N.Y.,USA,3年間)、岡山大学第一内科助教授、岡山市立市民病院院長代理・理事、倉敷シティ病院院長(現在に至る)。
医学博士、日本内科学会指導医、日本消化器病学会指導医、日本肝臓学会指導医、日本超音波学会指導医、臨床研修指導医
●著書(論文、総説・症例報告)(共著を含む):英文 59編、和文 97編。
●科学研究費:文科省 4回、厚労省 17回
●岡山県健康づくり財団 平成12年度癌研究助成受賞
●小坂敦夫賞
●アメリカ肝臓学会優秀論文に選抜(1982年)
●中国内科学会会長、中四国超音波学会会長

患者さんのご意思を大切するよう心がけてきました
「私が若かったころの日本の医療では、患者さんからきちんとインフォームドコンセント(※)をとるようなことは現在のようにはなされていませんでした。
肝性脳症の研究で、髄液中のアミノ酸代謝の研究を行うために、健常人、慢性肝炎、肝硬変、肝性脳症の方の血液と髄液を採取させていただきました。
成果を米国サウスカロライナのチャールストンでの国際学会で発表しましたが、この分野の大御所Dr.Josef. E. Fisher博士から「Dr.Higashi, did you get informed consent from the coma patients?」(昏睡患者からインフォームドコンセントはとれましたか?)と言われました。coma(昏睡状態)の患者さんからは当然とれていませんでした。米国では当時既に患者さんの意思を尊重している事が良く分かりました。その後は、何かと仲良くしていただきました。
そして、患者さんのご意思を大切するよう心がけてきました。」
※インフォームドコンセントとは(厚生労働省HPより)
患者さんの自由な意思にもとづく文書での同意があってからでないと治験は始められません。
この「説明と同意」のことを「インフォームドコンセント」といいます。

大学時代は卓球、今はテニスやゴルフを楽しんでいます。読書や音楽鑑賞も。
「大学時代は卓球部でした。以前、尾鷲市の副市長さんとも早田で手合わせさせてもらいました。
50歳ころからは、硬式テニスをしていました。現在は、大学時代の同級生4人と月に一度ゴルフをしています。
夏目漱石、山崎豊子、司馬遼太郎、太宰治、垣根涼介等の本が好きです。
休日には、ビバルディの「四季」を時々聞いています。」

尾鷲での思い出は「下校時の夜空、月。医師になるきっかけとなった同級生の妹の死。小網の手伝い」
「九鬼中学校に入学時は、渡し船で九鬼の対岸やくりの浜から九鬼神社の下に降ろしてもらっていました。
船頭さんは、多分、“勘一おじさん”だったと記憶しています。
くりの浜につけてもらうと、107段の坂の下に”首洗いの小さな泉?“があり、遅くなると怖い思いをしました。
中学1年生の10月に九鬼から早田へのバス道が完成し、その後は、自転車通学でした。バレーボールの練習後には、早田への途中の登り坂は漕いでは登れず、夜空の星や月を見ながら押して上がったものでした。
早田町は、今も昔も無医村です。ある日、同級生の友達と自然薯堀りに少し遠くの山に行っていました。
帰り道に、早田に一つだけのお菓子屋のおばさんがその同級生に「あんた、妹が死んだというのになにしとるん」と言われ、二人で必死に山道を走りました。
医師を目指した原点の一つになったと思います。
私は、中学卒業まで祖父のやる小網の手伝いをしていました。日曜日には九鬼の市場に魚を売りに行くのですが、同級生に会うとそれなりに恥ずかしい思いをしていました。
現市長の加藤千速君とは九鬼中学校の同級生です。」

座右の銘
(1)「気は長く、心は丸く、腹は立てず、人は大きく、己は小さく」
(2)「医療はすべての人に平等に」

尾鷲でとれる魚が好き
「鰤のお刺身、鯵やカマスのフライや姿寿司、魚ミンチのハンバーグ等など、母がよく作ってくれていました。
今は、帰省すると兄嫁が作ってくれます。」

皆さまへメッセージ
「尾鷲を離れてもう60年になります。しかし、心の真ん中にはいつも「おわせ」があり、どんな苦難の時でも思い出しては励ましてもらっています。
尾鷲市が「雨が一番多い所」だけでなく、もっと色々な面で興味を持ってもらえる市になるよう祈っています。
そして、遠方からですが、微力ながら応援団の一人に加えさせてもらっています。」

健康に不安がある方はご相談ください
「インターフェロン発見者の長野泰一先生は、東京大学をご退職後に岡山にあります「林原研究所」にお勤めの時期がありました。
私は肝臓病学が専門でしたので、非A非B(現在のC型)肝炎の多くの患者さんにインターフェロン治療をさせて頂きました。身が引き締まる思いです。
早田町が無医村であったことより医師を目指したことを考えると、若い頃には何一つ貢献できませんでした。
60歳から、早田で「医療相談」をさせてもらっていました。新型コロナウイルスの流行以来帰れていませんが、また、機会をいただけたら再開したいと思います。
以前、岡山で「肝臓病のメール相談」を開いていました。沢山の相談を受けました。
私が相談を受けることは、皆さんの健康に何らかの不安があることになりますが、少しでもお役に立ちたいと思いますので、下記のメールにて遠慮なくご相談ください。」
メールアドレス toshi.higashi@lake.ocn.ne.jp