民謡尾鷲節とは
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民謡尾鷲節とは
「尾鷲節」は大変古くから歌い継がれています。
言い伝えによると、1615年の「大阪夏の陣」の戦いで豊臣側について敗れた真田一族が、涙ながらにこの紀州路「尾鷲」に落ちのび、その悲しい思いを「なしょままならぬ、なしょままならぬ、なしょになる身をもたせてや」と歌ったのが、「尾鷲節」のはじまりと言われています。
真田一族が最初に歌った唄は、「なしょまま節」と言われていましたが、1925年に大阪でレコーディングを行い、その時はじめて「尾鷲節」という名前で紹介されました。その後は有名な吉川英治や野口雨情らの作詞により、歌詞も増えていきました。
また、初代坂東伊三栄師匠が振付を行い、現在の尾鷲節が作り上げられました。
1954年には全国民謡大会で第3位を獲得し、以来、三重県の代表民謡として歌い継がれています。
現在の尾鷲節
大正時代には、尾鷲の芸者さんが振付をして踊っていたようですが、1941年の大東亜戦争を契機に踊る機会を失っていたようです。
現在の振付は、1949年に尾鷲観光協会の要請で初代坂東伊三栄師匠により振付けられ、現在に伝わっています。
生活と尾鷲節
尾鷲節と尾鷲市民との関係は深く、画像のような尾鷲節歌碑が街中にいくつか点在しています。歌碑にはそれぞれ違った歌詞が書かれており、それを巡る街歩きを行うこともできます。
また、正午を告げるチャイムには尾鷲節が使われており、毎日尾鷲市内で聞くことができます。
全国尾鷲節コンクールについて
昭和60年からは、県内外からの来報、さらに尾鷲節のPRと地域の活性化を目的として全国尾鷲節コンクールが始まりました。
現在は、毎年11月第2週の日曜日に、コンクールが開催され、全国から尾鷲節の愛好家たちが集まり、日頃の練習の成果を発揮します。
また、尾鷲節コンクールならではのステージイベントも開催されます。