(梶賀)はらそ祭【(かじか)はらそまつり】
- [公開日:]
- [更新日:]
- ID:13042
ソーシャルサイトへのリンクは別ウィンドウで開きます

(梶賀)はらそ祭
梶賀浦の捕鯨の起源については明らかでないが、南隣りの二木島には寛文11(1671)年鯨33本の供養碑があり、また太地神社の記録に、九木浦の捕鯨は貞享年間(1684~87)とあるから、梶賀浦の捕鯨もそのころであろう。
鯨船の祭りは、現在梶賀浦と海山町白浦と2か所残っている。梶賀浦の祭りの起源については、当地方の捕鯨は明和6(1769)年に廃絶しており、廃絶後、捕鯨をしのんで、銛(もり)を投げ捕鯨の真似をして、神に捧げたものではないかといわれている。
また、「はらそ」の語源も明らかではなく、鯨に銛を打つ人が羽刺「はざし」で、それが「はだし」と訛り、「はらそ」 に転訛したといわれ、また一説には、秦氏が中国より漂着して、鯨を突く漁法を教えたことに由来するものともいわれている。
梶賀町のはらそ祭行事は、1月15日頃に地蔵寺にて大般若経が読経され、大漁祈願と鯨の供養を祈願する。祈願のあと、大漁旗などで飾られた「はらそ」船に乗り込み、旧輪内村の氏神である飛鳥神社に参拝。その後、梶賀神社、浅間様、若宮様、空神様などの町内に祀る神様や、漁業組合長宅などに銛が打ち込まれる。
「はらそ」船が銛を突く場所に直面すると、指揮者が「はらそ」の掛け声をかけ、船の八挺櫓(普通七挺)は、普通の漕法から古式の速い漕法に変える。この漕ぎ方は、トモロ・アイロ・トリカジ・トリカジカイロは自分の方へ引き、マイロ・オモカジ・オモカジカイロは前方へ押し、これを交互に繰り返す。ハダシが舳先に飛び上がって、銛を打つまでの動作もすべて古法どおりである。
江戸時代の鯨突きという魚撈習俗を、古式のまま今に伝える。
指定区分 | 市指定 |
---|---|
指定種別 | 民俗文化財(無形) |
指定登録日 | 昭和33(1958)年9月3日 |
所在地 | 尾鷲市梶賀町 |
所有者 | 梶賀町 |
一口メモ | 捕鯨銛打ちの伝承 |