馬越峠の桃乙句碑【まごせとうげのとういつくひ】
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馬越峠の桃乙句碑
嘉永7(1854)年、師である可涼園桃乙(かりょうえんとういつ)を偲び、可涼園社中が建立した句碑(全高195cm)。
桃乙は近江国の俳人で、嘉永5(1852)年に熊野巡遊の旅に出たが、その途中当地に杖をとめ、約1か年間発句(俳句)の指導をした。その行脚の記録である「烏日記」に、「馬越坂にて、くつはむし道に這出よ馬古世坂」という句がある。
桃乙は尾鷲・相賀・船津に滞在し、尾鷲では早花・春山・竹里・草干などが門弟であった。明治になってから桃乙の流れをくむ細々園淇水(土井幹夫)・平山香雨(林兵衛)・東竜孫(宗軒)などの優れた指導者のもとに尾鷲俳壇が形成された。
馬越峠のこの句碑は、「夜は花の上に音あり山の水」の句であるが、この句の創作場所は、市内北浦町から熊野街道を登り、馬越峠の約500m下の地蔵尊のあるところと言われ、現在でも山桜の老樹が残っている。
指定区分 | 市指定 |
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指定種別 | 有形文化財(建造物) |
指定登録日 | 昭和50(1975)年4月26日 |
所在地 | 尾鷲市南浦馬越町 |
所有者 | 個人所有 |
一口メモ | 可涼園桃乙の句碑 |