三木城跡(址)の五輪塔【みきじょうあと(し)のごりんとう】
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三木城跡(址)の五輪塔
五輪塔の地輪によると、これは寛永19(1642)年5月没、源花智水信女(坂本勘兵衛の母)の墓である。
この場所は三鬼氏の墓地であったが、整地により小型の五輪塔や石塔が埋められ、現在はこの1基が残っている。
天正3(1575)年の三木城落城で、城主三鬼新八郎は奈良県吉野郡上北山村へ落ちのびたが、間もなく殺されてしまった。元禄14(1701)年の土地の調査において、三木浦には由緒ある家柄として「坂本勘兵衛」の名がみえている。勘兵衛は上北山村坂本の出身と思われ、三鬼新八郎の逃走と深い関係があるものと考えられる。
この五輪塔には、上から3番目の「火輪」が欠如しているが、高さ150cmという江戸初期の大型五輪塔(全高86cm)で、市内では貴重な文化財である。
※五輪塔は上から宝珠の空輪・請(うけ)花(ばな)の風輪・笠石の火輪・塔身の水輪・基礎の地輪からなり、「空・風・火・水・地」の五大を宇宙の生成要素と説く仏教思想に基づいて平安時代に創始され、鎌倉以後は先亡者の供養や墓石としてつくられた。
指定区分 | 市指定 |
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指定種別 | 有形文化財(建造物) |
指定登録日 | 昭和48(1973)年4月11日 |
所在地 | 尾鷲市三木浦町 |
所有者 | 個人所有 |
一口メモ | 三鬼一族坂本勘兵衛母の墓 |