曽根(弾正)五輪塔【そね(だんじょう)ごりんとう】
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曽根(弾正)五輪塔
曽根町の東はずれの向井地墓地に、室町末期の五輪塔一基(全高86cm)、江戸初期の五輪塔一基(全高101cm)、江戸初期の板石塔婆一基(全高95cm)があり、五輪塔は曽根弾正とその夫人、板石塔婆は長男のものとみられている。戦国時代、南輪内をよく守った名領主曽根弾正とその同族の墓として、歴史的な意義がある。
『紀伊続風土記』に「曽根弾正の墓は安定寺にあり」とあるが、これは現在の場所の安定寺ではない。以前の安定寺は向井地墓地の上にあった。
曽根弾正の孫・久三郎が、関が原の戦で西軍に味方して敗戦したため曽根を去り、二木島へ移住した。そのため、同族の向井氏(現在中野氏)が北座(宮座)として曽根浦の神事を統治し、弾正の墓地を祀ってきたのである。
指定区分 | 市指定 |
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指定種別 | 有形文化財(建造物) |
指定登録日 | 昭和47(1972)年2月25日 |
所在地 | 尾鷲市曽根町向井地墓地内 |
所有者 | 個人所有 |
一口メモ | 曽根弾正・夫人・長男の墓 |