矢浜浄土宝筐印塔【やのはまじょうどほうきょういんとう】
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矢浜浄土宝筐印塔
南朝のある王子が、尾鷲市川原木屋奥の女王滝付近の城山に隠れ住んでいたとき、ある日訪ねてきた行者に髭をそらせた。実はこの行者は足利の刺客で、剃刀を逆手に持ちかえたところ、それが水鏡に映った。王子は傷を負ったものの難を逃れ、そのとき受けた傷を治した後は矢浜野田地に安住し、浄に入れられた(死没)という伝えが残っている。
この宝篋印塔の主は、後醍醐天皇の第一皇子である護良親王から六代目となる西陣親王の第三皇子であり、御名を桂城(かつらぎ)
宮綴連(つづれ)王重信(しげのぶ)という。
当地では珍しい関東型式であるが、王が23年間も茨城に住んでおられたことを考えると理解される。この印塔は故野田庄八氏の父が地中から掘り出したものである。そのとき破損の甚だしい一基分があったそうであるが、それは再び地中に埋められて今は分からない。
基礎の幅は34cm、笠の幅は28cmで相違しており、笠は桂城宮の夫人である町月姫のものとされている。室町初期の気品高い印塔である。
指定区分 | 市指定 |
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指定種別 | 有形文化財(建造物) |
指定登録日 | 昭和48(1973)年2月13日 |
所在地 | 尾鷲市矢浜 |
所有者 | 尾鷲市 |
一口メモ | 桂城宮綴連王重信の墓 |