普済寺の雲版【ふさいじのうんばん】
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普済寺の雲版
寛永19(1642)年、当寺2世別山応伝は、現在の地に禅堂を創建して、当寺の中興の祖となった。
普済寺には牛王宝印の版木があり「牛王大日寺宝印、別山代、雄作開板」とあるから、それまでは大日如来をまつる真言宗であったと思われるが、別山応伝は山口市龍福寺で修行したので、この時から宗旨は曹洞宗となった。
雲版は、たて49cm、よこ47cmの大きさで、禅宗特有のものである。食事や座禅など集合を伝える合図として使用されたが、この雲版は別山応伝在職中に、山下甚太夫から寄進されたものである。雲版には次のように彫文字がある。
《紀州室郡、須賀利、長漠山普済寺、別山応伝代、奇進山下甚太夫、慶安元年》
普済寺の山号は現在「宝龍山」であるが、当時の山号は「長渓山」である。雲版の長漠山は彫り誤ったものであろう。
市内で一番古い江戸初期の貴重な雲版である。
指定区分 | 市指定 |
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指定種別 | 有形文化財(工芸) |
指定登録日 | 昭和48(1973)年4月11日 |
所在地 | 尾鷲市須賀利町172 |
所有者 | 普済寺 |
一口メモ | 別山応伝代・山下甚太夫寄進 |