岩屋堂石仏【いわやどうせきぶつ】
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岩屋堂石仏
岩屋堂は、世界遺産熊野古道の一つである馬越峠道が通る天狗倉山の南斜面中腹に位置している。長軸約21m・短軸約20m・高さ約20mの巨岩を中心とし、その下に洞がある。洞内には多数の石造物が収められており、また洞外にも複数の石造物が配置される。成立は中世にまで遡ると考えられるが、17世紀後半頃までは衰退していたようである。延宝7(1689)年に常声寺住職の鐵船和尚がここを隠居地と定め、翌延宝8(1690)年にここへ移り、再興したという。洞外には、当時の堂跡も残っている。
ここは、江戸時代に伊勢方面から熊野や西国三十三所巡礼に向かう旅人たちが立ち寄った名所の一つで、『西国三十三所道しるへ』(明和8[1771]年刊)などでも紹介されている。洞内外の石造物のうち、石造聖観音菩薩坐像1躰・西国三十三所観音石仏33躰・石造地蔵菩薩坐像1躰の計35躰が市文化財に指定されている。
洞内正面の小祠に配置された石造聖観音菩薩坐像は岩屋堂の本尊である。法量は、台座も含めた全高52.8㎝、全幅22.4㎝、像高36.2cm、像幅(脚部)18.8㎝である。石材は、当地で産出される流紋岩と推定される。鎌倉末期の制作と推定されてきたが、近年は室町時代ごろの製作と推定されている。
洞内小祠の左側に安置されている32躰および洞外右脇の小祠にある1躰の観音石像は、延宝5(1677)年に本市林町にある常声寺の五世寿門和尚と雄郭比丘が発願し、造立したと伝えられる。千手観音15躰、如意輪観音6躰、聖観音5躰、十一面観音3躰、馬頭観音2躰、不空羂索観音1躰、准胝観音1躰で、一部過不足はあるものの、西国三十三所寺院の本尊をほぼ模して制作されたものである。1躰の全高は59.5~64.5cmの範囲に収まる。石材は砂岩であるが、洞内や小祠にあるため、状態は良好である。
洞内小祠前の砂岩で制作された石造地蔵菩薩坐像は、台座左面に宝永7(1710)年8月の銘がある。これは、宝永4(1707)年10月4日に発生した宝永地震津波供養碑とする説がある。
なお、当地では現在も毎月18日に常声寺和尚による読経が行われ、地域住民の篤い信仰が続いている。
指定区分 | 市指定 |
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指定種別 | 民俗文化財(有形) |
指定登録日 | 昭和46(1971)年12月16日 |
所在地 | 尾鷲市南浦 |
所有者 | 常聲寺 |
一口メモ | 西国33カ所観音 |