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あしあと

    八鬼山荒神堂版木 附 収納箱【やきやまこうじんどうはんぎ つけたり しゅうのうばこ】

    • [公開日:]
    • [更新日:]
    • ID:23394

    八鬼山荒神堂版木 附 収納箱

     世界遺産に登録されている熊野参詣道伊勢路の一つ、西国一の難所とも称された八鬼山の峠付近に位置する八鬼山荒神堂(日輪寺とも)は、近年まで修験者によって管理されてきた。
     荒神堂では、地元の信仰者のみならず、西国三十三所巡礼の前札所として、霊場をまわることを目的とした巡礼者にお札を配布していたことが伝えられてきた。後者においては、近年、旅人が記した弘化2(1845)年の日記に、納経(読経や金品を納めることで、その証として書付や判をもらうこと)を受けられる旨が記されていることや、文久2(1862)年の日記に「西国三拾三番手引所」と記されていることが指摘され、また当地の名が書かれた上に朱印が押された寛政元(1789)年の納経帳も発見されている。このことから、遅くとも18世紀末頃には当地で納経が受けられ、19世紀後半には前札所として認知されていたようである。当該版木はこれらに使用されたもので、江戸時代後期から昭和後半頃までに制作・使用されたものと考えられる。
     版木は、5点のうち3点は文字が刻まれた「文字版木(もじはんぎ)」と呼ばれるもので、残り2点は本尊である三宝荒神の図像(ずぞう)が刻まれた「図像版木」と呼ばれるもの。版木裏面に刻まれた文字や墨書から製作年が明らかなものは2点あり、「奉納経」「本尊三寶大荒神」などと浮き彫りされた文久3(1863)年のものと、「紀州八鬼山」の文字や本尊の図像が浮き彫りされた明治14(1881)年のものである。使用目的は、1点のみ大漁祈願に用いられたと考えられるものが含まれるものの、残り4点は主に巡礼者や参拝者などに配布することを目的とした札などに使用されたと考えられる。
     収納箱は、製作年は不明だが、元々日輪寺が管理していた天神講(てんじんこう)の関係者名簿を納めていた箱を後に転用したことが分かっている。
     荒神堂で用いられた版木が確認されたのは初めてであるとともに、江戸時代の日記にみえる納経事例に極めて近い時期に製作された版木が確認できたことは、荒神堂の歴史を知るうえで重要な発見と言えよう。


    写真左から、収納箱・版木1~5

    版木の拓影。左から版木1~5。(伊藤裕偉氏提供)

    八鬼山荒神堂版木 附 収納箱
    指定区分市指定
    指定種別有形民俗文化財
    指定登録日令和7(2025)年11月17日
    所在地尾鷲市立中央公民館郷土室
    所有者尾鷲市
    一口メモ荒神堂で使用された版木

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