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あしあと

    光明寺大般若経【こうみょうじだいはんにゃきょう】

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    光明寺大般若経

     この大般若経は、伊勢山田の備前屋小三郎から、古江浦の荘司平三郎が70円で購入し、明治14(1881)年11月18日光明寺へ寄進したものである。
     この大般若経は、もとは徳島県池田町の巨鼈山(きごうざん)雲辺寺(うんぺんじ)の所蔵本であった。雲辺寺の記録によると、応永27(1420)年4月火災があって諸堂焼失したとあるから、この経はその直後、雲辺寺が入手したものと考えられる。
     寛文10(1670)年3月、宇治に大火があり、伊勢両宮が類焼し、続いて天和元(1681)年の冬に内宮の霊殿も炎上したので、徳川四代将軍家綱(大樹院)は、大島出羽守を奉行に任命して遷宮を担当させた。出羽守は天和2(1682)年8月着任し、山田宮後町の崇恩寺を寓居として工事を監督し、翌3(1683)年4月に遷宮を完了した。
     そこで、家綱は奉行滞在の謝礼として、奉行桑山丹後守を通じ、崇恩寺へ白銀300両を寄進したので、寺は衆議して、天和3年にもと四国雲辺寺所蔵の大般若経を購入した。
     幕末になって山田崇恩寺は不如意になり、明治2(1869)年松阪の養泉寺へ合併されたが、その前に寺の什物を処分した。嘉永5(1852)年2月28日備前屋小三郎がこの大般若経を購入し、明治14年古江浦の荘司氏がそれを買い取ったものである。
     版木刷りによるものとして古く、正応2(1289)年から応永4(1397)年の間に作られたものと思われる。

     

    光明寺大般若経

     

    光明寺大般若経の概要

    指定区分

    市指定

    指定種別

    有形文化財(書籍)

    指定登録日

    昭和43(1968)年11月5

    所在地

    尾鷲市古江町

    所有者

    光明寺

    一口メモ

    版木刷りとして古い

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